キリストに生きる ―――――――――――――――聖書の節―――――――――――――――― 2コリント5:14 なぜなら、キリストの愛がわたしたちに押し迫っているからで す……。(15節)そして、彼がすべてのために死なれたのは、生きてい る者が、もはや自分自身にではなく、彼らのために死んで復活させられた方に生 きるためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 旧約時代にヘブル人が奴隷を買うと、その奴隷は主人のために六年間仕えなけれ ばなりませんでした。七年目には、その奴隷は自由になることができました。し かしながら、もし彼が、自分は主人を愛するので自由になりたくないと言うなら、 主人は彼を裁き人に連れていき、門柱の所で、彼の耳をきりで刺し通しました。 そうすれば、その奴隷は永遠に主人に仕えるのです(出21:2-6)。 兄弟姉妹よ、神はわたしたちを救い、またわたしたちを血で買い取ってください ました。神はわたしたちを、朽ちる金で買われたのではなく、彼の御子の尊い血 で買われたのです。多くのクリスチャンは、良心のゆえに神に仕えなければなら ないと感じます。しかし、わたしたちは主の尊さを見る時、自ら進んで主に自分 自身をささげるようになります。わたしたちが、自分は進んで主の奴隷になりた いと主に告げる時、主はわたしたちを戸と門柱に連れていき、わたしたちの耳を きりで刺し通します。門柱とは、過越の小羊の血が塗られた場所です。わたした ちは主を愛します。また、永遠に彼の奴隷となることを願います。わたしたちは、 彼がわたしたちを愛しておられることを知っているので、永遠に彼に仕えること を願います。わたしたちは次のように宣言しないわけにはいきません、「主よ、 あなたはわたしを愛し、わたしを救い、わたしを解放してくださいました! 主 よ、わたしはあなたを愛します。そして、永遠にあなたに仕えないわけにはいき ません!」。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)メッセージ第11編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。