問題がやって来るときに賛美を歌いなさい ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 歴代下20:15 主はあなたがたにこう仰せられます。『あなたがたはこのおびた だしい大軍のゆえに恐れてはならない。気落ちしてはならない。この戦いはあな たがたの戦いではなく、神の戦いであるから。(17節)この戦いではあなたがたが 戦うのではない。しっかり立って動かずにいよ。あなたがたとともにいる主の救 いを見よ。(22節)彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設け て……。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― その戦いは主の戦いです! 勝利か敗北かは、わたしたちと関係ありません。短 気、高ぶり、疑い、汚れた思い、どん欲、あらゆる種類の罪は、わたしたちと関 係ありません。戦いはわたしたちの戦いではなく、神の戦いです。神は言われま した、「この戦いではあなたがたが戦うのではない」。神は、わたしたちがしっ かり立って動かないことだけを要求されます。彼は、わたしたちが自分の手を放 して、すべてを神にゆだねることを望まれます。わたしたちはただ、しっかり立 って動かず、「主の救いを見」る必要があるだけです。兄弟姉妹よ、わたしたち は戦っている者ではありません。わたしたちは観戦している者です。 ヨシャパテはもう一つのことを行ないました。相手の人々は連合して彼らを攻撃 してきました。しかし、彼らの側では何を行なっていたのでしょうか? 彼らは 主に向かって歌う者たちを任命し、軍勢の前に行ってエホバを賛美しました。彼 らは狂っていたのでしょうか? 彼らは岩も矢も恐れず、神に向かって賛美を歌 っていました。これが勝利の音色です。彼らには勝利の音色がありました。なぜ なら、彼らは、エホバが自分たちに勝利を与えてくださったことと、敵がすでに 打ち破られていることを知っていたからです。彼らは、すでに戦いに勝っている ことを知っていました。ある人は、誘惑がやって来る時、戦ってそれに抵抗すべ きであると信じています。しかし、神は言われました、「彼らが喜びの声、賛美 の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、ユダに攻めてきたアモン人、モアブ 人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた」(22節)。賛美の歌 が主に対して歌われる時はいつも、敵は打ち破られます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 務めの言葉は、ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)メッ セージ第10編から引用されています。日本福音書房から出版されています。