真の信仰は揺らぐことがない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヘブル4:2 というのは、わたしたちにも、彼ら(イスラエル人)と同じように、 福音が宣べ伝えられているからです。ところが、その聞いた言は、彼らにとって 益となりませんでした。それが聞いた者たちの中で、信仰と混ぜ合わされなかっ たからです。(3節)さて信じたわたしたちは、その安息へ入るのです……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 今わたしたちは、わたしたちの信仰が試されることと勝利を得ることとの関係を 考えてみましょう。神がわたしたちの信仰を試そうとされるのは、わたしたちの 信仰が確かに信仰であることをはっきりとさせるためです。真の信仰はすべて、 長く続くものです。短い期間しか続かない信仰はすべて、信仰ではありません。 真の信仰は、常に長く続きます。三日たっても、一か月たっても、一年たっても、 十年たっても、五十年たったとしても、信じることができます。真の信仰は、一 つの障害、五つの障害、十の障害に対抗することができます。真の信仰は、一回 試された後も信じ、五回試された後も信じ、七回試された後も信じます。短い期 間しか続かず、少し震われただけで倒れ、消え去ってしまう信仰は、すべて信仰 ではありません。すべて信仰は必ず長く続くものです。  聖書の中でわたしたちは見ますが、勝利を得ることとは神の御言を信じることで す。神は、彼の御子がわたしたちの命であり、わたしたちのかしらであり、わた したちの勝利であり、わたしたちの聖であり、わたしたちの力であると言われま す。わたしたちは、彼がわたしたちの重荷を担ってくださったことと、わたした ちのすべての事柄に対して責任を負ってくださることを知っています。わたした ちは、彼が忍耐と柔和とをもってわたしたちに供給してくださることを知ってい ます。またわたしたちは、彼がわたしたちの中で、わたしたちの必要とするもの すべてをもって供給しておられることを知っています。主に感謝し、賛美します!  わたしたちは知っており、またわたしたちは信じています。しかし、このよう な信仰は、試みを経過しなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)メッセージ第8編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。