古い人は十字架に付けられる以外に何も役に立たない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ6:6 わたしたちは次のことを知っています。わたしたちの古い人が彼と 共に十字架につけられたのは……。 ガラテヤ2:20 わたしはキリストと共に十字架につけられました。生きているの はもはやわたしではありません。キリストがわたしの中に生きておられるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 兄弟姉妹よ、あなたは何度善を行なおうと決心したでしょうか? 何度も良くな ろうとして成功したでしょうか? わたしたちは霊的な面で神に多くの約束をし ました。あなたは神に、「わたしはこのことに従います。あなたのこの言葉に従 います」と言いました。またあなたは神に約束しました、「わたしは朝早く起き ます。明日から熱心になります」。あなたが多くの約束をした後、あなたはどれ ぐらい達成したでしょうか?  わたしがキリストと共に十字架につけられたとは、何を意味するのでしょうか? それは、神がすでにわたしに絶望されたこと、またわたしも自分に絶望したこと を意味します。神がわたしを「キリストと共に十字架に付けられ」たのは、神が 絶望されたことを意味します。「わたしはキリストと共に十字架につけられまし た」とわたしが言うことは、わたしが自分自身に絶望したことを意味します。わ たしたちは決して神を喜ばすことができないことを承認します。神はわたしたち を死なせる以外に何もすることができません。肉の人には何の望みもありません。 唯一なし得るのは、死です。 神はわたしたちに十字架の評価を受け入れてほしいのです。なぜなら、十字架の 評価を受け入れることによって、わたしたちは主を、わたしたちの聖別、わたし たちの完全さ、わたしたちの勝利として受け入れるからです。もしわたしたちが 自分自身に依然として少しの望みを保ち、依然として何らかの望みを持っている なら、神はわたしたちの上で働きを続けなければなりません。神はわたしたちが 完全に望みを失うまで、わたしたちの中での働きをやめられないでしょう。神は、 わたしたちが不可能であることを認識する点にまで導かれます。神は、わたした ちがここまで認識することを欲しておられるのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第24巻「勝利を得る命」(1997年版)メッセージ第5編か ら引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。