キリストの言葉がわたしたちの心の中にホームを造るようにする ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ3:15 そして、キリストの平安に、あなたがたの心を裁定させなさい。 ……(16節)知恵を尽くして、キリストの言をあなたがたの内に豊かに住まわせ、 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに教え戒め合い、恵みの中で、心から神に向 かって歌いなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしは、著者としてのパウロの力量を高く評価します。彼は一方ではキリスト の平安を強調し、また他方ではキリストの言葉を強調します。ある人は、わたし たちの霊が生き生きしている限り、万事結構ではないかと考えるかもしれません。 おそらくそういう人は、キリストの平安が内側を裁定し、またキリストの言葉が 心の中にホームを造る必要性を認識したことがないのでしょう。キリストの平安 を内に働かせ、またキリストの言葉を内に住まわせるなら、わたしたちは正常な クリスチャンとなるでしょう。自分の好みを持つのではなく、キリストの裁定を 持つでしょう。自分の意見、観念、思想、評価を持つのではなしに、キリストの 言葉を持つでしょう。 ある聖徒たちは聖書を愛し、毎日それを読みます。しかし、彼らの生活において、 彼らの内側で行動するのはキリストの言葉ではなく、自分の観念、意見、哲学で す。彼らは聖書を研究するかもしれませんが、キリストの言葉を内に住まわせま せん。また彼らは、キリストの言葉が自分の内で動き、行動し、存在することを も許しません。結果として、彼らの存在の中で有力になるのは、キリストの言葉 ではなく、自分の哲学です。彼らは聖書を読むでしょうが、神の言葉は彼らの外 側にとどまっています。重要なのは、わたしたちがキリストの言葉を自分の内側 に入り込ませ、自分の内に住まわせ、自分のもろもろの観念、意見、哲学に取っ て代わらせることです。 教えること、戒めること、歌うことは、すべて「住まわせ」という動詞と関係が あります。これが示していることは、主の言葉をわたしたちの内に豊かに住まわ せる方法は、教えること、戒めること、歌うことによってであるということです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(四)」(1980年版) メッセージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。