キリストの霊的美徳をまとう ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ3:12 こういうわけで、神に選ばれた者、聖なる愛されている者として、 思いやりの心、慈愛、謙そん、柔和、辛抱強さをまといなさい。(13節)もしだれ かが、他の人に対して不満を抱くことがあっても、互いに忍び合い、互いに赦し 合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも赦すべき です。(14節)そして、これらすべての事の上に、愛を着せなさい。愛は完成のた めの結び合わせる帯です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― わたしたちは新しい人を着たのですから、これらの節で列記された霊的美徳をも まとう必要があります。12節でパウロは信者たちを、神に選ばれた者、聖なる愛 されている者と述べています。新しい人は、神の選びの民、神の選ばれた人たち です。それだけでなく、新しい人は聖なる者です。この意味は、新しい人は俗的 でもなく、この世的でもなく、むしろ神に聖別されているということです。さら にまた、新しい人は愛されている者です。この節によれば、新しい人は選ばれて おり、聖であり、愛されています。 そのような新しい人としてわたしたちは、なくてはならないすべての霊的美徳を まとう必要があります。すなわち、思いやりの心、慈愛、謙そん、柔和、辛抱強 さです。謙そんは、謙虚であることとは多少違っています。人は自分の謙虚さを 誇るかもしれませんが、謙そんを誇りはしません。13節でパウロはさらに進んで、 互いに忍び合い、互いに赦し合うことについて語っています。赦す主はわたした ちの命となっておられます。そして主はわたしたちの内側で生きておられます。 赦しは、主の命の一つの美徳です。わたしたちが主を自分のパースンとして取り、 主によって生きる時、他の人たちを赦すことは、わたしたちクリスチャン生活の 自然な美徳となるでしょう。 神は愛です(1ヨハネ4:16)。愛は神の存在の本質そのもの、すなわち神聖な命の 実質そのものです。ですから、愛を着ることは、神の命の要素を着ることです。 そのような愛は、完全と完成と円熟した美徳との組み合わせの中にある、結合す るきずなです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(四)」(1980年版) メッセージ29から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。