禁欲主義対キリストの十字架(3) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:20 もしあなたがたがキリストと共に死んで、この世の初歩的教えか ら離れたのなら、なぜこの世に生きているかのように、あなたがた自身を規定に 従わせるのですか? ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 神の一つの道から離れて、わたしたちは何の規定も何の特別な道や実行も持つべ きではありません。神が定め、引き上げ、尊ばれた道は、キリストの十字架です。 十字架がわたしたちの唯一の道です。あなたは夫と妻との口論という問題を解決 することができるのは何であるか、知っているでしょうか? それはただ十字架 によってのみ解決することができます。すべての聖徒たちは、日ごとに十字架を 経過することを学ばなければなりません。大きいものや小さいのや、あらゆる種 類の十字架を経過することによって、わたしたちは教会生活の中で一と調和を持 つでしょう。 甘い調和のある一を持つために、わたしたちはみな日ごとに十字架を経過しなけ ればなりません。自分は正しく、他の人は間違っていると議論してはなりません。 このように論争すればするほど、あなたが十字架を経過することはますます少な くなるでしょう。どのような十字架も避けてはなりません。その反対に、クリス チャン生活で、家庭生活で、教会生活で遭遇するすべての十字架を経過しなさい。 結婚生活で、また特に教会生活で、あなたは日ごとに、時間ごとにさえ十字架を 経過する必要があります。エペソ人への手紙第4章でパウロは、日が暮れるまで 憤ったままでいないようにと勧告しています。これは、わたしたちは十字架を経 過することによって、自分の憤りを去らせるべきであることを意味します。十字 架を経過する日常生活がわたしたちにあるなら、家庭生活でも教会生活でも調和 があるでしょう。キリストと十字架のゆえに主を賛美します! 神はわたしたち にひとりのパースン、すなわちすべてを含むキリストと、一つの道、すなわち十 字架を与えてくださいました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(3)」(1980年版) メッセージ26から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。