禁欲主義対キリストの十字架(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ガラテヤ2:20 わたしはキリストと共に十字架につけられました。生きているの はもはやわたしではありません。キリストがわたしの中に生きておられるのです。 そしてわたしは今、肉体の中で生きているその命を……信仰の中で生きるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) あなたが午後、何らかの方法であなたの妻または夫によってみじめにさせられた とします。床につく時、あなたは十字架をそのみじめな感覚に適用する必要があ ります。もしあなたがそうするなら、みじめな感覚は消え失せます。これは、わ たしたちの道が十字架であって、禁欲主義や何か自分を厳しく取り扱うことでは ないことを示します。わたしたちはすでにキリストの中で死んだことを認識して、 十字架の意識をもって夜、床につくべきです。もし十字架を経過して床につき、 キリストの中で死んだという認識をもって横になることを実行するなら、翌朝わ たしたちは新しい人として復活の中で目覚めるでしょう。 毎晩、床につく時に、十字架を経過することは健康な霊的実行であると、わたし は証しすることができます。毎日の終わりに十字架を適用することによって、わ たしは夜ぐっすり安息することができます。就寝する時、わたしたちは十字架を あらゆる問題に、またあらゆる消極的な、天然の、または罪深い事に適用する必 要があります。わたしたちは次のように祈ってもよいでしょう、「主よ、わたし はこれらすべての事柄に十字架を経過させたいのです。わたしは天然の、罪深い、 消極的な、またはこの世的なすべての要素を対処されないまま眠りにつきたくあ りません。床につく時、主よ、わたしはそれらを除き去られた人でありたいので す」。 わたしたちが行なう必要のあることはただ、夜、十字架を通して横になり、安眠 し、そして朝、復活の中で起き上がることです。主を賛美します。キリストの死 の経験は禁欲主義に相対します! (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(3)」(1980年版) メッセージ26から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。