わたしたちの賞またかしらであるキリスト ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:18 あなたがたをふさわしくないと言って裁く、わざとらしい謙そん や天使礼拝をする者に、あなたがたの賞をだまし取らせてはなりません。彼らは 自分の見たものにとどまり続け、思いを肉に付けることによっていたずらに思い 上がっていて、(19節)かしらに結び付いていないのです。この方から、からだ全 体は、節と筋によって豊かに供給され、結合され、神の増し加わりによって成長 するのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ここのだまし取ることの意味は、裁き批判することによってだまし取ることです。 その意図は、あなたから賞、すなわちキリストと教会生活の享受を奪い取ること です。天使礼拝の異端は聖徒たちを、かしらのとしてのキリストに結び付くこと からそらしました。神のエコノミーは、キリストにあって、彼のからだ、教会を 通して、万物をかしらにつり上げ、キリストを万物の中心とすることです。こう かつな者の策略は、聖徒たちを奪い去って、キリストのからだを崩壊させること でした。コロサイでの異端は、聖徒たちをかしらから引き離しました。これはか らだを破壊しました。パウロの啓示は、キリストを高く上げること、からだを保 護し、建造することでした。わたしたちは教会生活のために、キリストの中に守 られる必要があります。そうすればわたしたちは特異なビジョンから、またどの ような不正常なものからも守られるでしょう。 教会生活のためにキリストの中に守られるとは、かしらとしての彼に結び付くこ とです。この方から、からだは神の増し加わりによって成長します。成長するの は命の事柄であり、命は神ご自身です。教会はキリストのからだとして、キリス トを奪い取られてはなりません。彼は、命の源である神の具体化です。キリスト に付くことによって、教会は神の増し加わりによって、命としての神の増加によ って成長します。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「ライフスタディ・コロサイ人への手紙(三)」(1980年版) メッセージ25から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されていま す。