知恵と知識の源としてのキリスト ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:2 ……神の奥義なるキリスト……(3節)このキリストの中には、知恵 と知識のすべての宝が隠されています。 1コリント1:24 召されている者には、ユダヤ人にもギリシャ人にも、キリスト は神の力、また神の知恵です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神は知恵と知識の唯一の源です。知恵と知識のすべての宝が、神の奥義であるキ リストの中に隠されています。コロサイの教会は異教の哲学に侵されていたので、 パウロはコロサイ人を助けて、知恵と知識の真の源である神へと至らせていたの です。キリストは神の奥義です。そして神だけが、すべての知恵と知識の源です。 パウロは次のように言いたかったようです、「コロサイの人たちよ、あなたがた はキリストを受け入れ、彼の中には知恵と知識のすべての宝が隠されているのに、 なぜなおも哲学を必要とするのですか? なぜあなたがたはグノーシス主義の教 えを受け入れるのですか? あなたがたがこのようなことをするのは、自分が信 じているものに関して全き確信を持っていないからです。あなたがたは信仰を持 っていますが、把握を持っていません」。 知恵と知識がキリストの中に具体化されているという事実は、キリストが語られ た言葉、特にマタイによる福音書、ヨハネによる福音書に記載されている言葉に よって証明されます。これらの書で、主は王国と命について語られました。これ らの書に記録された主の言葉は、最高の哲学を含んでいます。哲学者たちの教え は、孔子の倫理的な教えを含めて、どれもそれとは比較になりません。主の言葉 の概念はあまりにも深く、あまりにも深遠なのです。哲学を徹底的に研究する人 はだれでも、最高の哲学がイエス・キリストの教えの中にあることを承認しなけ ればならないでしょう。確かに、知恵と知識のすべての宝は彼の中にあります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第18編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。