内側での主の活動にしたがって労苦する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:29 このために、わたしもまた労苦し、わたしの内で力をもって活動 している彼の活動にしたがって、苦闘しているのです。 エペソ3:7 わたしは、神の力の活動によって、わたしに与えられた神の恵みの 賜物にしたがい、この福音の奉仕者となりました。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― すべて救われた人は、キリストの活動について少なくても幾らかの経験を持って います。救われることは、単にわたしたちの罪が赦され、神によって義とされる ことだけではありません。それはまた、キリストがわたしたちの中に分け与えら れることです。わたしたちの中に住むキリストは、またわたしたちの内で活動さ れます。聖徒たちのためのパウロの苦闘は、この活動にしたがっていました。 ある聖徒たちは、彼らの内側でのキリストの活動に対してほとんど何も感じてい ないかもしれません。この欠乏の原因は、祈りに欠けることです。わたしたちは 悔い改めの心をもって主に行き、次のように言う必要があります、「主よ、わた しを赦し、あなたの尊い血で清めてください。主よ、わたしは照らされ、きよめ られ、透明にされることを願います。あなたがわたしに求められるものは何であ るかを見せてください。わたしを暴露し、わたしがあなたで満たされますように してください」。このように祈るなら、キリストの活動はわたしたちの内で活動 する道を持つでしょう。 わたしは、キリストの活動によって活気づけられていると証しすることができま す。祈れば祈るほど、彼の活動はますますわたしを活気づけます。しかしながら、 もし祈らないなら、わたしは冷めてしまい、静かになるでしょう。あなたが内側 にキリストの活動をあまり感じないのは、あなたがあまりにも努力していて、祈 って主に接触することがあまりにも少ないからです。祈りの中で主に開くことに よって、あなたはキリストの活動があなたの内で活動する立場を与えます。そし てあなたはこの活動にしたがって苦闘し、キリストの中で円熟した人をささげる ことができるでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。