慰められた心が必要である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ2:2 それは、彼らの心が慰められ、彼らが愛の中で結び合わされ、理 解力から来る全き確信のあらゆる豊富へと至るため、すなわち、神の奥義なるキ リストを知る全き知識へと至るためです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― この節でパウロは、わたしたちの内なる存在の極めて重要な二つの器官を取り扱 います。それは心と思いです(理解力という言葉は、思いを暗示しています)。い ったん心が傷つけられ、冷めてしまい、分裂すると、容易に思いはそらされ、敵 に攻撃されさえします。思いがこのような状態にあると、キリストと神のエコノ ミーに関して供給される言葉を理解することはできません。 例えば、もしわたしの思いが心の中の問題のゆえに攻撃を受けるなら、ある兄弟 が笑顔でわたしにあいさつしないと、わたしはとても不愉快になるかもしれませ ん。この同じ兄弟が他の兄弟を昼食に招いたのに、自分を招かないとしたら、わ たしはさらに悩まされるでしょう。わたしはその状態に対して大いに怒るかもし れません。この怒りは短気によってひき起こされるのではなく、わたしの心の中 の問題によってひき起こされるのです。わたしは心の中で、尊敬、名誉、地位を 望んでいるかもしれません。これはわたしに、人は自分に喜ばしい態度であいさ つして尊敬を示すべきであると、感じさせるかもしれません。しかしながら、わ たしの心に何の問題もないなら、ある兄弟がわたしにほほえまなくても、ある活 動にわたしを加えなくても、わたしは悩まされないでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。