主の臨在に戻り、彼を享受する ――――――――――――――聖書の節――――――――――――――――― イザヤ2:5 来たれ。ヤコブの家よ。私たちも主の光に歩もう。 詩篇36:8 彼らはあなたの家の豊かさを心ゆくまで飲むでしょう。あなたの楽し みの流れを、あなたは彼らに飲ませなさいます。(9節)命の泉はあなたにあり、 私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― イザヤの時代、イスラエルの子たちは自分たちの宗教に占有されていましたが、 エホバの光を失っていました。なぜなら、彼らの心が主から離れていたからです。 彼らは宮、祭司の体系、いけにえを持っていました。しかし、彼らの心が神から 離れていたので、彼らは暗やみの中にいました。彼らは光の中を歩いていません でした。ですから、イザヤは彼らに、来て主の光の中を歩くようにと呼びかけた のです。これは、悔い改めて告白するようにとの呼びかけであり、それは主の臨 在の中にもたらされるためでした。 詩篇第36篇8節と9節が描写している人は、主に戻って、主の臨在の中にいる人で す。そのような人は、神の家の肥沃さに満足し、主の楽しみの川から飲みます。 彼は命の泉としての主を知り、主の光の中で光を見ます。この光の中で、聖徒た ちの分は彼の享受となります。わたしたちはキリストの中に住み、命の光の中を 歩いて(ヨハネ8:12)、光の中でキリストにあずかる必要があります(エペソ5:14)。 わたしたちはさらに多く主と接触する必要があります。わたしたちはおおいのな い顔と開かれた心で、彼の御言を読む必要があります。わたしたちは主と交わり、 内なる油塗りに従う時、彼を内側の命として実際的な方法で経験するでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第7編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。