キリストを光として経験する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ8:12 こうして、イエスは再び彼らに語って言われた、「わたしは世の光 である。わたしに従う者は、決して暗やみの中を歩くことがなく、命の光を持つ」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) キリストは唯一の光です。彼がいなければ、光はありません。多くのクリスチャ ンが暗やみの中にいるのは、彼らが経験的にキリストを持っていないからです。 神学校にいる人たちは、神学やキリスト論を学んでも、神やキリストに対する真 の経験を持っていないかもしれません。ですから、彼らに光はないのです。 多くの信者は、聖書は光に満ちていると堅く信じています。もちろん、これはそ うです。ところが、もしわたしたちが主の臨在の中で御言を読むのでないなら、 聖書を読むことでさえ暗やみの中にあるでしょう。わたしたちは、主イエスがヨ ハネによる福音書第5章39節と40節で言われたパリサイ人のようでしょう、「あ なたがたは聖書を調べている。それは、その中に永遠の命があると思っているか らである。しかし聖書は、わたしについて証しをするのである。しかもあなたが たは、命を得るためにわたしに来ようとはしない」。宗教家たちは、彼らは盲目 であるとキリストが言われたとき、怒りました(ヨハネ9:39-41)。彼らは外面上、 聖書を持っていたので、光の中にいると思っていました。しかし実は、彼らはキ リストを持っていなかったので、盲目でした。キリストだけが世の光です。主イ エスがおられない所はすべて、暗やみの権威の下にあります。 わたしたちはこの原則を自分自身に適用する必要があります。わたしたちの中で、 あるいは日常生活の中で、キリストがおられない部分はみな暗やみの中にありま す。もしわたしたちが日常の歩みの中で、経験的に、実際的にキリストを持って いなければ、わたしたちは暗やみの中にいます。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第5編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。