神のみこころを知る全き知識で満たされる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:9 こういうわけで、わたしたちもこの事を聞いた日から、あなたが たのために絶えず祈り、そして願っています。どうかあなたがたが、あらゆる霊 的知恵と理解力において、みこころを知る全き知識で満たされ、(10節)主のもの にふさわしく歩いて、すべての事で主を喜ばせ、あらゆる善いわざで実を結び、 神を知る全き知識によって成長し。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 何年も前、若い聖徒たちが結婚や就職などの事柄について相談してきた時、わた しはコロサイ人への手紙のこの節(1:9)に言及しました。わたしは、彼らが神の みこころを知るには霊的知識を追い求めるべきであると告げました。しかし、こ この神のみこころは、結婚、仕事、住まいなどのような事柄に焦点があるのでは ありません。それは、わたしたちの分としてのすべてを含むキリストに関するも のです。わたしたちに対する神のみこころは、わたしたちがすべてを含むキリス トを知り、経験し、わたしたちの命として生きることです。 この節での神のみこころは、キリストのことを言っています。コロサイ人がユダ ヤ教の儀式(2:16)、異邦人の規定、人の哲学に従うことは(2:8)、神のみこころ ではありませんでした。さらに、彼らが禁欲主義を実行すること、体を虐待して 肉の放縦を抑制することも(2:20-23)、神のみこころではありませんでした。コ ロサイ人に対する神のみこころは、キリストを知り、キリストを経験し、キリス トを享受し、キリストを生き、キリストに彼らの命またパースンとなっていただ くことでした(2:6.3:4)。今日、わたしたちに対する神のみこころも全く同じで す。 神のみこころとはキリストで浸透されることであると知るなら、わたしたちは神 のみこころについて正しい認識を持ちます。わたしたちが行なうことは何であれ、 神のみこころの中で行なわれるべきです。わたしたちはキリストの中で結婚し、 キリストの中で働き、キリストの中で行動すべきです。キリストはわたしたちの 命、またわたしたちのパースンであるべきです。これが神のみこころです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第3編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。