信仰と愛 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― コロサイ1:3 わたしたちは……神に感謝しています。(4節)それは、キリスト・ イエスにあるあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対して抱いているあなたがた の愛を聞いたからです。(5節)それらは、あなたがたのために天に蓄えられてい る望みから来るのであり……。 1ヨハネ3:14 わたしたちは死から命へと移っていることを知っています。なぜ なら、わたしたちは兄弟たちを愛しているからです……。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 信仰とは、キリストの中にあるものを実体化し、受け取ることです。愛とは、キ リストから受けたものを経験し、享受することです。望みとは、キリストにある 栄光化を期待し、待ち望むことです。すべての真のクリスチャンは、主イエスに ある信仰と、すべての聖徒たちに対する愛を持っています。この二つのものは、 わたしたちが真のクリスチャンであることを証明します。聖徒たちに対する愛は、 常に主イエスにある信仰と共になければなりません。それらは分けることができ ません。 わたしたちは最初にキリストを信じた時から、信者たちがどの国籍であっても、 自然に彼らに対する愛を持つようになります。わたしの性質と背景によれば、わ たしは決して日本人を愛することができませんでした。わたしは若かった時、日 本が中国に与えた損害のゆえに、本当に彼らを憎みました。しかし、わたしは救 われて主の務めに入った後、満州で何人かの日本人の兄弟たちに招かれて訪問し ました。その部屋に入ると直ちに、自然にそれらの兄弟たちに対する愛がわたし の内側にわき上がりました。日本人に対するわたしの憎しみは消え去りました。 それらの兄弟たちは主イエスを信じており、わたしも主イエスを信じていました。 ですから、わたしたちはキリストにある信者仲間として、互いに愛し合うことが できました。この愛は天然の愛ではなく、主イエスを信じるわたしたちの信仰か ら来る愛です。 わたしたちはすべての聖徒たちを愛さなければなりません。それはコロサイ人が、 どの国籍でも、ユダヤ人でも異邦人でも、すべての聖徒たちを愛したようにです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・コロサイ人への手紙(一)」(2004 年版)メッセージ第2編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版さ れています。