パンは信者たちの一を告げ知らせる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント10:17 一つパンであるからには、わたしたちは数が多くても一つか らだなのです。それは、わたしたちがみなこの一つパンにあずかるからです。 1コリント12:12 それは、体が一つであっても多くの肢体があり、体のすべて の肢体が多くあっても一つの体であるように、キリストも同様だからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 主の食卓の基本的な要素はパンです。このパンはとても重要です。このパンは、 大きく言えばすべての神の子たちを代表していますし、小さく言えば一つの地方 のすべての神の子たちを代表しています。もし何人かの神の子たちが共に集まり、 ただその何人かだけを見るなら、またそのパンがその何人かだけを含むものであ るなら、そのパンは小さすぎて、十分ではありません。一つのパンは、一つの地 方の神の子たちすべてを含み、一つの地方の教会を代表しているべきです。また それだけでなく、この一つパンは、この地上にいるすべての神の子たちをも含む ものです。わたしたちは、このパンが神のすべての子たちの一を告げ知らせてい ることを見なければなりません。もし一つの単独の教会を設立しようとするなら、 そのパンはあまりにも小さすぎて、教会を代表することはできません。もし一つ の地方に食卓があって、その食卓に出席している人たちが、「わたしたちは数が 多くても一つからだなのです」と言うことができないとしたら、わたしたちはそ のパンをさくことができません。なぜなら、それは主の食卓ではないからです。 パンをさくときは、必ず主を記念しなければなりませんし、またわたしたちの心 は兄弟姉妹に向かって開かれていなければなりません。すべての神の子たち、尊 い血によって贖われた者たちは、みなこの一つパンの中に含まれています。わた したちの心は主によって大きく広げられる必要があり、パンと同じほど大きくあ る必要があります。わたしたちは数は多くても、一つパンです。わたしたちと共 にパンをさいていない兄弟姉妹でさえ、その中に含まれているのです。このパン は、わたしたちが狭い人にはなることを許しません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。