主の食卓の意味――交わりと一 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント10:16 わたしたちが祝福する祝福の杯、それはキリストの血の交わ りではありませんか? わたしたちがさくパン、それはキリストの体の交わりで はありませんか?(17節)一つパンであるからには、わたしたちは数が多くても一 つからだなのです。それは、わたしたちがみなこの一つパンにあずかるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― コリント人への第一の手紙第10章には、別の言葉を用いてパンさきを説明してい ます。晩餐ではなく、食卓であると言っています(21節)。主の食卓の第一の意義 は交わりです。晩餐はわたしたちが主を記念するためであり、食卓はわたしたち が相互の交わりを持つためです。ここでの強調点は、キリストの血を飲むことだ けではなく、この血に共にあずかることです。この共にあずかることが交わりで す。 主の食卓の第二の意義は一です。ここでは、神の子たちが一つになっているのを 見ます。わたしたちはパンであり、このパンは教会です。すべての神の子たちは、 このパンが一つパンであるのと同じように一つです。わたしたちにはただ一つの パンがあるだけです。このパンは分けられてめいめいの内にありますが、その霊 の中ではやはり一つパンです。 キリストは、パンのようにもともと一です。神はキリストを少しあなたに分け与 え、またわたしにも少し分け与えられました。ひとりのキリストは今や分けられ、 多くの肢体たちの中に住んでおられます。キリストは霊ですから、分けられたと しても、分かれていないのです。彼はやはり一です。神はキリストをあなたに与 え、またわたしにも与えられましたが、キリストはその霊においてやはり一です。 分けられたパンは、その霊の中でやはり一つであり、分かれていません。このパ ンは、神の教会が一であることを表しているのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) の第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。