主が来られるまで主の死を告げ知らせる(1) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント11:26 ですから、あなたがたがこのパンを食べ、その杯を飲むたび に、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) あなたがこのようにして主のパンを食べ、主の杯を飲むことは、主の死を告げ知 らせることです。主がわたしたちに彼の晩餐を食べさせるのは、ただ彼を記念す るためだけではなく、彼の死を告げ知らせるためでもあります。なぜこのパンと この杯が主の死を告げ知らせているのでしょうか? 血は本来、肉の中にあるも のですから、血と肉が分かれてしまうと、それは死です。 あなたの両親、子供たち、親族は主を知らないかもしれませんが、もしあなたが 彼らをパンさきの集会に連れて来たら、彼らは初めてパンさきを見て、次のよう に質問することでしょう、「これは一体どういうことですか? パンをさくこと の意味は何ですか? 杯を飲むことの意味は何ですか?」。あなたは次のように 言うことができます、「もしこの杯の中のものが血であり、このパンが肉である としたら、これはどういうことでしょうか?」。彼らは「これは死です」と答え ることでしょう。 わたしたちは人に指し示して、ここに置かれているのは主の死であると見せるこ とができます。ですから、わたしたちは出て行って口を使って福音を伝えるだけ でなく、集会所で福音を語るだけでなく、賜物をもって福音を伝えるだけでなく、 主の晩餐も福音を伝えることなのです。わたしたちが主の晩餐をそこに設けて、 もし人が、これは儀式ではなく、主の死を自分たちの前に告げ知らせていること を認識するなら、これは宇宙における大いなることです。主の晩餐を食べるとき、 わたしたちは主の死を告げ知らせているのです。ナザレ人イエス、神の子が死な れました。これが、ここに置かれているとてつもない事実です。 (明日へ続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第17編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。