証しすることを通して喜びで満たされる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ヨハネ15:5 わたしはぶどうの木であり、あなたがたはその枝である。人がわた しの中に住んでおり、わたしもその人の中に住んでいるなら、その人は多くの実 を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからである。 (11節)これらの事をあなたがたに語ったのは、わたしの喜びがあなたがたの中に あり、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― すべての信者には、一生のうちに最も楽しい日が二つあります。第一の喜びの日 は、主を信じた日です。主を受け入れたのですから、それは特別な喜びの日です。 第二の喜びの日は、初めて人を主に導いた日です。初めて人を主に導いた時の喜 びは、自分自身が救われた時にもまさる喜びです。多くのクリスチャンに喜びが ないのは、それまで主のために一言も語ったことがないからです。一人も主の御 前にもたらしたことがないからです。 芽のある木が成長しないことはあり得ないのと同じように、主の命がありながら 命を生み出さないということもあり得ません。罪人に対して証しをしない人は、 まだだれか他の人から証しをしてもらう必要があるのかもしれません。人を悔い 改めさせ主に立ち返らせることに心も興味もない人は、その人自身が悔い改めて 主に立ち返る必要があるのかもしれません。人の前で主のために声を出さない人 は、まだ神の福音の声を聞く必要があるのかもしれません。霊的に前進したので、 もう人を得なくてもよい、ということがあり得るでしょうか? 証しをする必要 がないほど前進した人などいません。信じたばかりの人は、まず初めに証しをす ることをよくよく学ばなければなりません。これは一生涯しなければならないこ とです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第49巻「初信者を成就するメッセージ(二)」(1999年版) メッセージ第1編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。