超越した霊をもって神を賛美する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 使徒16:23 こうして、彼らは二人に多くのむちを加えて、二人を獄に投げ込み、 獄吏に厳重に見張るように命じた。(24節)その命令を受けた獄吏は、彼らを奥の 獄に投げ込み、その足に足かせをはめた。(25節)真夜中ごろ、パウロとシラスは 祈りながら、神に賛美の詩歌を歌っていた。囚人たちは彼らに聞き入っていた。 (26節)すると突然、大地震が起こって、獄舎の土台が揺れ動いた。そして、たち まち全部の扉が開いて、すべての人の縄目が解かれた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 神の子たちは愚かであれば、自分の環境を見て、自分の感覚を見て、賛美をやめ てしまいます。神の子たちが神を認識すればするほど、ピリピの獄中でさえ歌う ことのできる場所であることを見いだすでしょう。パウロとシラスの場合、彼ら が神を賛美していたとき、獄の扉が全部開き、縄目がすべて解かれてしまいまし た。その日、獄吏は主を信じ、全家族が救われて喜びました。 パウロとシラスは獄の中で賛美のいけにえをささげていました。体の傷はまだ良 くなっていませんし、その痛みも止まってはいません。しかも両足には足かせが はめてあり、ローマの獄の中に閉じ込められていたのです。どうして喜ぶことが できるでしょうか? どうして歌うことなどできるでしょうか? しかし、そこ にいた二人の霊はとても高く引き上げられ、すべてを超越していました。彼らは、 神が天に座しておられ、変わることがないことを見ていました。自分たちは変わ りますし、その環境も変わりますし、その感覚も変わります。自分たちは体にお いてまさに苦しみを受けているのですが、神はやはり御座に座しておられ、ほめ たたえられるにふさわしい方です。このような賛美が勝利なのです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第16編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。