信者たちは歌のような感覚を持つ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 詩104:33 私は生きているかぎり、主に歌い、いのちのあるかぎり、私の神にほ め歌を歌いましょう。(新改訳) エペソ5:19 詩と賛美と霊の歌とで語り合い、心から主に向かって歌い、朗詠し なさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 聖書の中には、預言があり、歴史があり、教理があり、教えがあり、命令があり ますが、聖書の中には歌もあります。歌は、人の最も細やかな感覚が流れ出たも のです。人が神の御前で祈る感覚も、人が神の御前で歌を歌う感覚の細やかさと 柔らかさには及びません。神はわたしたちに細やかで柔らかな感覚を持ってほし いのです。 わたしたちの主の感覚は、細やかで柔らかです。しかし、わたしたち人の感覚は、 細やかでもありますが、また雑でもあります。怒ったり腹を立てたりするのは、 粗雑な感覚です。ある人は怒らないのですが、その感覚が細やかであるとは限り ません。神はわたしたちに、愛、慈しみ、あわれみ、同情を求められます。なぜ なら、そのような感覚は細やかであるからです。神は、わたしたちが困難の中に あっても歌い、痛みの中にあっても賛美し、神の御名をほめたたえるようにと求 められます。それは、これらがみな細やかで柔らかな感覚の表示であるからです。 人が人を愛する時、その感覚は柔らかです。人が人を赦す時、その感覚は柔らか です。人が人をあわれむ時、その感覚は柔らかです。 神がご自身の子たちの歩む道を導かれる時、彼らの感覚がますます細やかに、ま すます柔らかに、ますます歌のようになって欲しいのです。一人の人が神の御前 で学べば学ぶほど、その人の感覚はますます細やかに、柔らかに、歌のようにな ります。人の心から流れ出てくる最も深い感覚こそ、その人の歌の感覚です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第15編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。