毎朝早くマナを集める ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 詩63:1 神よ。あなたは私の神。私はあなたを切に求めます……。 出16:15 イスラエル人はこれを見て、「これは何だろう」と互いに言った。彼 らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主が あなたがたに食物として与えてくださったパンです」。(21節)彼らは、朝ごとに、 各自が食べる分だけ、それを集めた。日が熱くなると、それは溶けた。(新改訳) ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 早朝はマナを食べる時です(マナはキリストを指しています)。マナを食べると はどういうことでしょうか? それは毎日早朝にキリストを享受すること、すな わち、神の語りかけ、神の言を享受することです。それを食べてこそ、わたした ちは荒野を進んで行くことができます。マナを集めるのは早朝です。朝早く起き ながら別の事のために時間を使うなら、霊的な面で満足を得ることや養いを得る ことはできません。 神の御前に来て神の言葉を開き、神の言葉を読み、罪の感覚があったなら、告白 してもいいでしょう。ある聖書の言葉が言っている事柄の上で、神があなたに恵 みを与えておられると感じたなら、感謝してもいいでしょう。また聖書が言って いるある事柄の上で神に願い求めて、「主よ、この事は真にわたしに欠けている ところです。この一段落、この一節、この一句の言葉は、本当にわたしに欠けて います。主よ、どうかあなたがわたしに与えてくださいますように」と言っても いいでしょう。あなたが何かの約束を見いだしたなら、「主よ、わたしは信じま す」と言ってもいいでしょう。何か恵みを見いだしたなら、「主よ、わたしは受 け取ります」と言ってもいいでしょう。またとりなしの祈りをしても結構です。 読んでいる時、ある兄弟姉妹の状況がちょうどこの聖書の個所に反すると覚えた なら、神の御前で彼らを訴えたり、とやかく言うことをせずに、「神よ、この言 葉がわたしの上に成りますように。またこの言葉が某兄弟、某姉妹の上に成りま すように」と言えばいいのです。早朝、聖書を読む際、長いのも多いのもよくあ りません。こうして一句一句読み、祈り、神と交わっていくなら、満たされるで しょう。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第11編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。