受けたと信じる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マルコ11:24 こういうわけで、わたしはあなたがたに言う。あなたがたが祈っ て求めるものはすべて、受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになる。 エペソ2:8 なぜなら、あなたがたが救われたのは、恵みにより、信仰を通して であって、これは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物であるから です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第2編) 神はすでに祈りを聞かれました! 神はもう成し遂げられたのです! すでに受 けたと信じるなら、そのとおりになります。信仰はすべて、「すでに」であって、 「であろう」と言っているのではありません。 簡単な例えを挙げてみましょう。一人の人が福音を聞きました。あなたがその人 に「主イエスを信じましたか?」と尋ねると、彼は「信じました」と言います。 今度は、「救われましたか?」と聞くと、彼は「わたしは救われるはずです」と言 います。これは救われた人の言葉のようには聞こえません。もし人が「わたしは 救われるでしょう」とか、「わたしは必ず救われます」とか、「わたしは必ず救わ れると思います」とか言うなら、その人が救われているという保証はありません。 もし彼が「わたしは救われました」と言うなら、その味わいこそ正しいのです。 人は信じたなら、救われているのです。同様に、あらゆる信仰は、すでに達成され たことを信じるのです。信じたら、すぐに「神に感謝します。もう受けました」 と言うべきです。わたしたちはこの三つのこと、すなわち、「神はできる」、「神 はそうされる」、「神はすでになされた」を、しっかりと捕らえる必要がありま す。 信仰は決して心理作用ではありません。信仰は、神の言葉を受けることであり、 「神はできる」、「神はそうされる」、「神はすでになされた」を、確信をもって 信じることです。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第10編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。