神の家族における神の子供たちとなる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント12:20 しかし今や、肢体は多くあっても、体は一つです。(21節)目 は手に向かって、「わたしはあなたを必要としない」ということはできません。 また頭は足に向かって、「わたしはあなたを必要としない」と言うことはできま せん。(27節)今や、あなたがたはキリストのからだであり、そして各自は肢体な のです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神は、わたしたちがからだであると言っておられます。今日あなたはからだの一 つの目か、一つの手か、一つの足かです。目は頭にあってはじめて用をなします。 もしガラスの瓶の中に置けば、役に立ちません。足は体についていてはじめて役 に立つものであって、二階に掛けておいたら役に立ちません。体とはこのような ものであり、肢体とはこのようなものであることを覚えてください。だれ一人、 別の肢体から離れることはできません。これは破壊することのできない関係です。 あなたの耳は、怒ったからといって独立することはできません。あなたの手も、 怒ったからといって独立することはできません。足も立ち上がって、わたしは独 立したいと言うことはできません。わたしたちは共に組み合わされなければなり ません。 わたしたちが得た命もまた、わたしたちが単独になることを許しません。主はわ たしたちに一つの独立した命を与えられたのではありません。このことをわたし たちは重く見なければなりません。主はわたしたちに独立した命を与えられたの ではありません。わたしたちが持っている命は、必ず他の人の命に依り頼むもの です。もしわたしたちが受け入れたものが独立した命であれば、それはそれでい いのです。しかし、わたしたちが受け入れたのは依り頼む命ですから、わたしは 兄弟姉妹に依り頼み、兄弟姉妹もまたわたしに依り頼みます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第6編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。