この世とは、わたしたちの霊的命を消すあらゆるものである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1ヨハネ2:17 世と世の欲は過ぎ去っていきます。しかし、神のみこころを行な う者は永存するのです。 ヤコブ4:4 姦婦たちよ、あなたがたが世の友となるのは、神への敵対であるこ とを知らないのですか? ですから、だれでも世の友であろうとする者は、神の 敵になるのです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第3編) 何がこの世かを一つ一つ指摘するのはとても難しいことです。それはきりがない からです。しかし、基本的な原則をつかむことはできます。主の御前での霊的命 を消すものはすべてこの世です。ある事柄が神の御前で熱心に祈ることをさせな いなら、それはこの世です。ある事柄が神の言葉への興味を失わせるなら、それ はこの世です。人の前で口を開いて証しさせないようにする事柄は、この世です。 ある事柄が、主の御前で隔たりを感じさせ、罪を告白する必要を生じさせるなら、 それはこの世です。この世は雰囲気であり、その雰囲気はわたしを冷淡にさせ、 萎縮させ、主を愛し慕う心を冷ややかにします。ですから、わたしの神の御前で の霊的な状態を消してしまうものはすべてこの世であるという、広い意味での原 則を得ることができます。それは必ず捨てなければなりません。 ある事について人は、この事には何も罪がないのにこの世の事と見なすのですか、 と言うかもしれません。多くの事は、人から見てとても良い事です。しかし、や りすぎると、わたしの内側の火は燃え上がらず、良心は神の御前で弱くなってし まいます。その事をした後、聖書を読んでも味わいがありません。時間がないわ けではないのに、読めないのです。その事をした後、人の前で証ししようとして も、内側がからっぽで言葉がないのです。ですから、罪があるかないかの問題で はなく、その事がわたしの霊的命を消すかどうかです。霊的命を消すものはすべ てこの世であり、神の御前で必ず完全に拒絶しなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第5編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。