告白を良い行ないと置き換えてはならない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント4:13 「わたしは信じた。それゆえにわたしは語った」と書いてある とおり、同じ信仰の霊を持っているので、わたしたちも信じ、それゆえにまた語 るのです。 1テサロニケ1:5 なぜなら、わたしたちの福音があなたがたの所へ伝えられて 行ったのは、言だけによったのではなく、力と聖霊と大いなる確信とにもよった からです。わたしたちがあなたがたの間で、あなたがたのためにどのような者で あったかは、あなたがたがよく知っているとおりです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ある初信者は、伝統的な教えの影響によって、よく一つの誤りを犯します。すな わち、人は良い行ないをすることが重要であって、口で告白するかしないかは重 要ではないとします。語ることを変えても役に立たず、最も重要なのは行ないが 改まることであるとします。この種の誤りは正さなければなりません。行ないは 改まる必要がないと言っているのではありません。行ないが改まらなければ、口 で言っても当然、役に立ちません。しかし、行ないが改まっても口で言わなけれ ば、それも役に立ちません。行ないが改まることは、口で告白することに取って 代わることは決してできません。行ないが改まっても、やはり口で告白しなけれ ばなりません。 口で言わなければ、他の人はあなたについて多くのことを想像したり、哲学的な 方法であなたの行ないを解釈したりするでしょう。彼らはさまざまな言い方をし ますが、それは彼らが主イエスに触れていないからです。ですから、あなたの行 為が改まったのはどのような原因によるのかを、彼らに告げるべきです。良い行 ないは、口で告白することに取って代わることはできません。良い行ないはある べきです。口で告白することもあるべきです。「イエスはわたしの主です。わた しは彼に仕えます」と人に向かって言いましょう。あなたの行ないがどんなに良 くても、これらの言葉をあなたの口から語り出さなければなりません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第4編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。