献身して主に仕える(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ12:1 兄弟たちよ、こういうわけで、わたしは神の慈しみを通して、あな たがたに勧めます。あなたがたの体を、神に喜ばれる、聖なる、生きた供え物と してささげなさい。それが、あなたがたの理にかなった奉仕です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしたちがクリスチャンになるのでしたら、生涯にわたって神に仕えなければ なりません。一人の人が自分を主にささげたなら、今後、主の要求が第一であり、 神に仕えることが一生の道であることを見る必要があります。どうか神がわたし たちに恵みを賜り、わたしたちが神に仕えることはわたしたちの本分であること を見せてくださいますように。わたしたちは、今後、自分が神に仕える者である ことを見せなければなりません。わたしたちはクリスチャンになったのですから、 何事も気ままにすることはできないということを認識しなければなりません。わ たしは、わたしたちが仕事を忠実にやらなくてもいいとか、まじめに働かなくて もいいとか、定職にも就かなくてよいとか言っているのではありません。そうで はなく、わたしたちはやはり忠実に仕事をし、まじめに働かなければなりません。 しかし、神の御前で見なければならないことがあります。一生涯、神に仕える道 に沿って歩み、すべての事を、神のみこころを行なうために、神に喜ばれるため に行なうということです。これが献身の実際です。 ですから、献身とは、人がどれだけの物を神に与えるかではなく、わたしたちが 神に受け入れられて、神がわたしたちに、神に仕える者となる誉れを与えてくだ さることです。献身とは、もっぱらクリスチャンのためだけのものです。どんな 人でも献身することができるというものではありません。恵みを受けた人だけが、 主に属する人だけが、献身することができます。献身とは、わたしたちが「主よ、 あなたは、わたしが御前に来て、あなたに仕える機会、権利を与えてくださいま した」と言うことです。わたしたちは、他の人に献身するようにと請うことはし ません。献身することが神を優遇することのように思うのは大きな間違いです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第3編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。