愛が献身の根拠である(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 1コリント6:19 それとも、あなたがたの体が、内にある聖霊の宮であることを 知らないのですか? この聖霊は、あなたがたが神から受けたものであって、あ なたがたは、自分自身のものではないのです。(20節)なぜなら、あなたがたは代 価をもって買い取られたからです。ですから、あなたがたの体において、神の栄 光を現しなさい。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) わたしたちの主は、わたしたちのために自分の命を捨て去り、代価をもってわた したちを買い戻してくださいました。わたしたちは主に買い取られた者たちです。 今日わたしたちは主に贖われたのですから、主のために自分の自由を進んで捨て 去ります。わたしたちはもはや自分自身のものではありません。わたしたちは主 のものです。わたしたちは必ず自分の体において神の栄光を現さなければなりま せん。なぜなら、わたしたちは自分自身のものではなく、主に買い取られたもの だからです。主が十字架上で流された血が、主の払われた代価です。ですから、 主の権利から言っても、わたしたちは主のものであるのです。 わたしたちは主に買い取られた者であり、主が最高の代価をもって買い取られた のであることを、わたしたちははっきり見なければなりません。彼がわたしたち を買い取られたのは、金をもってでもなく、銀をもってでもなく、彼の血をもっ てでした。この中に主の愛があり、また主の権利があります。主の愛のゆえに、 わたしたちは主に仕えることを選びます。主の権利のゆえに、わたしたちは彼に 従って歩まないわけにはいきません。贖いによって生じた権利は、わたしたちを 主にささげさせます。贖いによって生じた愛もまた、わたしたちを主にささげさ せます。献身の根拠は権利であり、また愛でもあります。献身の根拠は、合法的 な権利です。献身の根拠は、人の感覚を超越した愛です。この二つのゆえに、わ たしたちは主にささげないわけにいきません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第3編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。