待たずに主にしたがって行く ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ8:21 またもう一人の弟子が彼に言った、「主よ、まず、わたしの父を葬 りに行かせてください」。(22節)しかし、イエスは彼に言われた、「わたしに従 って来なさい。そして死人に彼らの死人を葬らせなさい」。 マタイ4:19 イエスは彼らに言われた、「わたしについて来なさい。あなたがた を人を捕る漁師にしてあげよう」。(20節)すると彼らは直ちに綱を残して、彼に 従って行った。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― マタイによる福音書第8章22節の一番目の死人は霊的な意味であり、この世の人々 はみな神の御前では霊的に死んでいるということです。主の思いは、あなたの父 親はそれらの死人に葬らせて、あなたはわたしにしたがって来ればよい、という ことにあります。 わたしは初信者に、父親のために葬儀をしないようにと勧めているのではありま せん。死人を葬ることは死人に任せるという原則をつかんで、終結がついていな い多くの事柄を彼らに任せるのです。もしわたしたちが、これらのことを成し終 えてからと言うのでしたら、一生涯クリスチャンになる時間がないでしょう。家 庭内の事、父親の事、生活の事など幾千幾百件の事が片付いてからと言うなら、 だれがクリスチャンになれるでしょうか? 霊的に死んだ人に処理を任せればよ いのです。これは一つの原則です。これは決して、初信者が今後は家の中の事を 構わなくてよいと勧めているのではありません。この世の事が全部片付くまで待 たなくてよいということです。全部片付くまで待つのであれば、主に従って行く 方法はありません。 多くの人は、自分のやるべき事を成し終えてから主を信じようと思いますが、そ うであれば主を信じる機会を失っていしまいます。それらはすべて死人の事柄で す。その事に捕らわれてはなりません。わたしたちの目から見て成し終えていな くても、それでよいのです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第2編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。