神の救いの結果 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ルカ19:7 人々はそれを見ると、みなつぶやいて、「彼は罪深い人の所に行って、 宿を取った」と言った。(8節)ザアカイは立って主に言った、「主よ、ご覧くだ さい。わたしは財産の半分を、貧しい人たちに施します。また、だれかから偽り の取り立てによって何かを取っていたなら、四倍にして返します」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ザアカイが上記の8節のようにしたのは、教えによったのではなく、聖霊の感動 によりました。レビ記の原則は、それに五分の一を加えることです。しかし、感 動を受けた時は、主の霊がどのようになさるかを見るのです。ここでは原則を語 っているだけです。聖霊が働かれる時の導きについて語っていることを、はっき り知らなければなりません。 当時の人々はみな、主はなぜ罪深い人の家に行くことができるのかと言いました。 この人はどれだけ人に強要したことか、この人はどれだけ偽りの取り立てをした ことか、と人々はみなつぶやきました。この時、ザアカイは立ち上がって、もし わたしがだれかから偽りの取り立てによって何かを取ったとしたら、わたしは四 倍にして返します、と言いました。四倍にして返すことは、アブラハムの子とな る条件ではありません。四倍にして返すことは、神の救いがこの家に臨む条件で はありません。四倍にして返すことは、神の救いがこの家に臨んだ結果です。四 倍にして返すことは、アブラハムの子となった結果です。この回復の行為があっ たゆえに、人の前での証しがあるのです。これが証しの土台です。 主を信じる前の過去において、だれかに強要したり、だましたり、盗んだりした とか、その他の不正な方法で、得るべきでない物を手に入れたりしたことがある なら、今、主があなたの内側で働きかける時、これらをよくよく取り扱わなけれ ばなりません。これは、主の御前で赦しを得ることとは関係ありませんが、証し に関係することです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) メッセージ第2編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されて います。