バプテスマは離脱である ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マルコ16:16 信じてバプテスマされる者は救われる。しかし、信じない者は罪 に定められる。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ユダヤ人が主イエスを滅ぼそうとしていた時、彼らは「彼の血は、われわれとわ れわれの子孫の上に!」(マタイ27:25)と叫びました。今日、わたしは主イエス を殺した人ではありませんが、わたしの先祖が主イエスを殺しました。今日、わ たし個人は手を下したわけではありませんが、わたしの属しているこの団体が主 イエスを殺したのです。わたしの属する団体は神の敵であり、滅びへと罪定めさ れています。わたし個人が罪人であるから救われる必要があるだけではなく、正 しくない団体にわたしが属しているということを、わたしたちが見ることができ るようにと、わたしは望みます。わたしはその関係から離脱し、その地位から離 脱しなければなりません。 何をバプテスマと言うのでしょうか? バプテスマは離脱です。信じることは積 極面であり、バプテスマは消極面です。バプテスマはあなたを一つの団体の中か ら出てこさせます。この世の中の多くの人はみな、あなたが彼らの仲間の一人で あると言うかもしれません。しかし、あなたがバプテスマされるやいなや、彼ら はあなたが終わったことを知ります。 「信じてバプテスマされる者は救われる」。人が信じてバプテスマされると、す べての人はみな、その人がどんな地位に立っているかを知ります。信じていなけ れば、内側の実際はなく、その人が行なうことは外側の見せかけにすぎません。 信じているなら、内側の実際があり、そしてもしその人がさらに進んでバプテス マされるなら、彼はこの世から分離され、それとの関係を断ち切ります。バプテ スマは、その人が出てきたことの公の宣言です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウオッチマン・ニー全集第48巻「初信者を成就するメッセージ(一)」(1999年版) の第1編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版されています。