復活と義 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ28:6 彼はここにはおられない。彼が言われたように、復活させられたの だ。来て、彼が横たわっておられた場所を見なさい。(7節)そして急いで行って、 弟子たちにこう告げなさい、『彼は死人の中から復活させられた。見よ、彼はあ なたがたより先にガリラヤへ行かれる』。あなたがたはそこで、彼にお会いする。 見よ、わたしはあなたがたに告げた」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストの復活に関するマタイの観念は、それが神の義と関係があるということ です。ヨハネは命についての書であり、命は力の事柄です。しかし、マタイは王 国についての書であり、王国は義の事柄です。ですから、マタイによれば、キリ ストが死人の中から復活させられたことは、神が彼の義にしたがって彼を解き放 されたことを意味しました。ですから、キリストは義によって裁かれて死に渡さ れ、義によって死人の中から復活させられたのです。 ですから、キリストの復活は神の義にしたがってでした。こういうわけで、マタ イは兵卒たちの収賄の歴史的記事を挿入したのです(28:11-15)。他のどの福音書 もこれを述べていません。マタイがそれを含めているのは、キリストの復活が、 人の不義と相対する神の義と関係があったことを示すためです。 この時点で、わたしたちはローマ人への手紙第4章25節を考える必要があります。 この節は言います、「イエスはわたしたちの違犯のゆえに渡され、わたしたちの 義認のゆえに復活させられました」(原文)。この節は復活を義に結び付けていま す。聖書は、復活を力の事柄とするだけではなく、また義の事柄とします。キリ ストを死人の中から復活させたことで神の義が現されただけでなく、キリストの 復活のゆえにわたしたちは義とされました。ですから、キリストの復活は、神の 義とわたしたちの義認との証拠です。ハレルヤ、キリストの復活の中で、神は義 なる神であり、わたしたちは義とされた民です! ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第72編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。