義、愛、恵み ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ローマ3:21 ……神の義が明らかにされ、証しされました。(22節)すなわち神の 義は、イエス・キリストの信仰を通して、信じるすべての人にもたらされました。 そこには何の差別もありません。(24節)価なしに、彼の恵みにより、キリスト・ イエスにある贖いを通して、義とされるからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 義あるいは公正は、法理的な事柄です。その反対に、愛は感情の事柄です。もし わたしがあなたを愛するなら、あなたに注意を払うことを選択するでしょう。し かし、もしわたしがあなたを愛していないなら、簡単にあなたのことを忘れるで しょう。そうです、神は世の人を愛されましたが、彼の愛は彼の義ほどに確固で はありません。もちろん、神はご自身の愛を変えることはされません。しかし、 仮に神の愛が変わったとします。神はご自身の愛を変える権利を持っていても、 ご自身の義を変える権利は持っておられません。神はわたしたちを愛しても放棄 しても、不当ではありません。彼はまたわたしたちに恵みを示しても示さなくて も、不当ではありません。恵みは神の願いの事柄です。しかし、義は感情や願い の事柄ではなく、法理的な事柄です。 法理的な事柄は、法律の執行、立法に関係があります。神の福音は完全に法理的 な事柄、神聖な立法の事柄です。神はわたしたちを法理的に救われました。もち ろん、神の救いは彼の愛によって始められ、彼の恵みを通して達成されました。 しかしながら、最終的に、その結果は彼の義です。ですから、今日わたしたちが 受けている救いは単に愛や恵みの事柄ではなく、神の義の法理的な事柄です。わ たしたちの救いは神の義によって証印を押され、確認されました。今や神ご自身 でさえ、わたしたちの救いを変えることはできません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第71編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。