主の財産を正しく顧みる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ25:14 天の王国は、ある人が外国へ行こうとして、自分の奴隷たちを呼 び、彼らに自分の財産を渡すようなものである。(15節)彼はある者に五タラント 、 ほかの者に二タラント、ほかの者に一タラントを、それぞれの能力にしたがって 与えた。そして彼は外国へ出かけた。(16節)五タラントを受けた者は直ちに行っ て、それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。(17節)同じように、二タラ ントを受けた者も、ほかに二タラントをもうけた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 14節は、ある人が奴隷たちに自分の財産を与えたと言いますが、15節は、彼らに タラントを与えたと言っています。これは、15節のタラントが、14節の財産であ ることを示します。言い換えれば、主はご自身の財産をわたしたちのためのタラ ントとして用いられるのです。例えば、福音は主の財産です。しかし、それがわ たしたちに与えられると、わたしたちのタラントになります。同じ原則で、すべ ての信者は主の財産です。信者たちがわたしたちに与えられると、わたしたちの タラントになります。主がご自身の財産を与えれば与えるほど、わたしたちはま すますタラントを持つでしょう。今日、主の財産はおもに福音、真理、信者、教 会です。もしこれらのものを顧慮しないなら、あなたは何のタラントも持たない でしょう。福音はわたしたちの財産になる必要があります。真理、信者、教会に ついても同じです。 第24章によれば、奴隷は家の者たちに食物を供給することになっています。これ は、命の供給であるキリストの豊富を持つ栄養のある御言を、主の家の人たちに 供給することです。しかしながら、ここではそのタラントで商売して、タラント を増し加えることを言っています。ですから、わたしたちの奉仕の結果には二つ の面があります。第一の面は、人が養われ、豊かな栄養を与えられることです。 第二の面は、主の財産が増し加わることです。例えば、わたしたちが福音を宣べ 伝えれば宣べ伝えるほど、ますます福音は豊かになります。真理についても同じ です。わたしたちが真理を人に供給すると、真理は増し加わります。これは聖徒 と教会についてもそうです。信者も教会も増し加わります。こうして、五タラン トは十タラントに増し加わり、二タラントは四タラントに増し加わります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は 、ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第65編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。