人の生活の必要事がわたしたちを占有することを許さない ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ24:37 人の子の来臨も、ノアの日のようである。(38節) なぜなら、洪水 の前の日々、ノアが箱船に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁 いだりしていて、(39節)洪水が来てすべてのものを取り去るまで、その裁きが来 ることを知らなかったからである。人の子の来臨も、そのようである。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 食べること、飲むこと、めとることは、もともと人の生存のために神によって定 められていました。しかし、人の情欲のゆえに、サタンはこれらの人の生活の必 要事を利用して、人を占有し、人を神の権益から引き離してしまいます。洪水の 前の日々の最も著しい特徴は、食べること、飲むこと、めとること、嫁ぐことで した。これは、当時の人が、肉的でこの世的な享受によって麻痺させられていた ことを示します。同じ事が、今日の社会でも起こっています。しかしながら、こ のことは、わたしたちが食べたり、飲んだり、結婚したりする必要がないことを 意味するのではありません。これらすべてはわたしたちの生存のために必要です。 しかしわたしたちは、これらの事がわたしたちを麻痺させ、感覚を鈍らせること を許してはなりません。 人々は今日、良い食べ物、良い飲み物、良い結婚を享受するために、勉強し働い ています。彼らは神の事については何の考えも持っていません。神に関するこの 感覚の欠如は、今日何とはびこっていることでしょう! この状態は継続し、主 のパルーシア(再来)の時に頂点に達するでしょう。 ノアの日々の間、大洪水が神の裁きと共に来る少し前に、このようにして頂点に 達しました。ある意味で、キリストのパルーシアは、洪水が神の裁きと共にやっ て来るようなものです。洪水は、ノアの時代の麻痺させられた人々に裁きをもた らしました。パルーシアは神の裁きを、この麻痺させられた世にもたらすでしょ う。キリストは地に下って来て、この麻痺させられた反逆的な世界に神の義なる 裁きを執行されます。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第63編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。