不思議な栄光のキリスト(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― ピリピ3:8 しかしさらに、わたしはまた、わたしの主キリスト・イエスを知る 知識の卓越性のゆえに、すべての事を損失であると勘定します。(10節)キリスト と彼の復活の力と彼の苦難の交わりとを知り、彼の死に同形化されて、 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) キリストは何と不思議でしょう! 彼は神と人の両方であり、神の子とダビデの 子の両方です。さらに、彼は天におられ、またわたしたちの中にもおられます。 彼は内側におられ、また外側にもおられます。彼は頂上におられ、また底にもお られます。彼は最も大いなる方であり、最も小さい方でもあります。ああ、キリ ストはすべてです! わたしたちはその程度にまで彼を知る必要があります。そ の時わたしたちは次のように言うでしょう、「主イエスよ、わたしはあなたを知 り尽くすことができません。主よ、あなただけが価値ある方です。もし神がおら れるなら、この神はあなたでなければなりません。もし真の人がいるなら、この 人はあなたでなければなりません。主よ、あなたは救い主、贖い主、命、光です」。 彼を経験することと彼を認識することは、いずれも無尽蔵です。キリストはすべ てを含む方ですから、彼を享受することも無尽蔵です。 わたしたちはキリストを知ることはできても、彼を徹底的に理解することはでき ません。わたしたちは、イエス・キリストが御子であること、彼が父と呼ばれて いることを知っています。なぜなら、聖書がそう言っているからです。しかし、 わたしたちはこれを十分に把握することはできません。わたしたちはまた、キリ ストが神の子であり人の子であることと、神の性質と人の性質をひとりのパース ンの中に持っておられることを知っています。ですから、彼は二つの性質と二つ の命を持つひとりのパースンです。しかしながら、これを徹底的に理解すること は、わたしたちの能力を超えています。わたしたちはただ、聖書が言うことをす べて信じ、彼がそんなにもすばらしいゆえに賛美するだけです! わたしたちは、 すばらしい方としての彼を礼拝し、受け入れ、享受し、経験する必要があります。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウィットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第59編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。