清められ、いやされ、賛美する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ21:12 それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いしている者た ちをみな追い出された。……(13節)彼らに言われた、「『わたしの家は祈りの家 と呼ばれる』と書かれているのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている」。 (14節)宮の中では、盲人や足の不自由な人たちがイエスの所に来たので、イエス は彼らをいやされた。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) 主がエルサレムに入って、最初に行なわれたのは、宮を清めることでした。それ は、今日のわたしたちにとっても原則は同じです。わたしたちが主を王として内 側に迎え入れる時、彼は直ちに座に着くのではなく、わたしたちの霊に来て、そ れを清められます。わたしたちは主を命として受け入れた時、彼を王として受け 入れました。彼がわたしたちの中に入って来て、わたしたちの命また王となる日、 彼はご自身を座に着かせず、神の宮を清めました。神の宮とは、今日、わたした ちの霊、神の住まいです(エペソ2:22)。 わたしたちの霊は祈りの家であるべきなのですが、堕落のゆえに強盗の巣にされ ました。しかし、イエスはわたしたちの中に入って来る時、すべての強盗を追い 出し、わたしたちの霊の宮を清められます。清めた後、主は宮の中で盲人や足の 不自由な人たちをいやされました(マタイ21:14)。これは、彼が宮を清めること が、人々に見る視力と行動する力を得させることを示します。15節は、子供たち が「宮の中で叫んで、『ダビデの子にホサナ』と言っている」と言います。これ は、盲人と足の不自由な人のいやしの後のことでした。わたしたちの盲目と足の 不自由なのがいやされる時、わたしたちも小さな子供のように主を賛美するでし ょう。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第56編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。