主が人の所に来られた方法 ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ21:5 「シオンの娘に言え、『見よ、あなたの王があなたに来られる。柔 和で、ろばに乗って、子ろばに、荷を負う獣の子に乗って』」。(29節)わたしは 心の柔和なへりくだった者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学び なさい。そうすれば、あなたがたは魂に安息を見いだすであろう。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 5節は、王が「ろばに乗って、子ろばに、荷を負う獣の子に乗って」来られたと言 っています。これは、主が進んで身を置こうとしておられたへりくだった身分、 低い状態を象徴しています。ろばと子ろばが一緒にいるのは、柔和とへりくだり の印象を与えます。例えば、とても小さな姉妹が、小さな赤ん坊を腕に抱いてわ たしたちの前に立ったとします。これは、小ささについて深い印象をわたしたち に与えるでしょう。なぜなら、その小さい赤ん坊は、小さいという印象を強める からです。 天の王は横柄な豪華さをもってではなく、穏やかな、へりくだった柔和さをもっ て来られました。この柔和さの印象は、柔和な王を乗せたろばと共にいる子ろば によって強調されています。主は誇らしげに馬に乗ってエルサレムに入城された のではありません。彼は小さなろば、小さな子ろばにさえ乗って来られたのです。 地上の王はだれもこうしないでしょう。 主イエスが来られたのは、戦ったり競い合ったりするためではなく、柔和な王と なるためでした。子供のろばの存在は、主がだれとも戦ったり競い合ったりする のを顧慮されないことを証ししました。そうではなく、彼はへりくだっていて、 柔和でした。これが、主イエスが人々に伝えたかった印象であったと、わたしは 思います。そうです、彼は天の王でした。しかし、偉大な王としてやって来て、 人と戦ったり競い合ったりする意図は、彼にはありませんでした。反対に、彼は 柔和な王として来られて、だれとも戦わず、だれとも競い合いませんでした。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第56編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。