キリストは神の唯一の喜びである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ17:3 すると見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合って いた。(4節)そこで、ペテロはイエスに答えて言った、「主よ、わたしたちがこ こにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしはここに天幕を三 つ造りましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤ のために」。(5節)彼がまだ語っている間に、見よ、輝く雲が彼らを覆った。そ して見よ、雲の中から声があって言った、「これはわたしの子、愛する者、わた しは彼を喜ぶ。彼に聞け!」。(8節)彼らが目を上げると、イエスご自身のほか、 だれも見えなかった。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― ペテロは興奮して、三つの天幕を、一つは主のために、一つはモーセのために、 一つはエリヤのために造るという途方もない提案をしました。ペテロの途方もな い提案は、モーセとエリヤをキリストと同じ水準に置きました。それは、律法と 預言者をキリストと同等にすることでした。これは絶対に神のエコノミーに反す るものです。神のエコノミーにおいて、律法と預言者はキリストの証しにすぎま せん。それらはキリストと同じ水準に置かれるべきではありません。 ペテロはモーセとエリヤ、すなわち律法と預言者を、キリストと共にとどめてお くことを提案しました。しかし神は、モーセとエリヤを取り去り、イエスご自身 のほかだれも残して置きませんでした。律法と預言者は、影と予言であって、実 際ではありません。実際はキリストです。今や、実際であるキリストがここにお られます。もはや影と予言は必要ありません。イエスご自身のほかだれも新契約 の中に残るべきではありません。イエスは今日のモーセであり、命の律法を彼の 信者たちに分け与えておられます。イエスはまた今日のエリヤであり、彼の信者 たちの内側で神のために語り、神を語り出しておられます。これが神の新約エコ ノミーです。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウィットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第49編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。