キリストはご自身の栄光を弟子たちに啓示される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ16:28 まことに、わたしはあなたがたに言う。ここに立っている者のう ち、人の子が彼の王国の中で来るのを見るまでは、決して死を味わわない者がい る。 17:2 すると、イエスは彼らの前で姿が変わり、彼の顔は太陽のように輝き、 彼の衣は光のように白くなった。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 神であるキリストが人と成られた時、彼の神性は彼の人性の中に受肉しました。 彼は唯一のパースン、すなわち、神性と人性の両方を所有する方でした。彼の神 性は彼の人性の内側に隠されていました。彼は、外側では人でしたが、内側では 神そのものでした。神はこの人の内側に隠され、内容となっており、覆われてい ました。栄光とは、現された神、表現された神です。それは、現されて人によっ て見られた神ご自身にほかなりません。イエスの人性の内側に隠された神は、栄 光そのものでした。ですから、栄光なる神聖な要素が、イエスの人性の要素の内 側に覆われていたのです。彼が地上を歩かれた時、だれも彼の栄光なる神性を見 ることはできませんでした。多くの人は奇跡を見て、彼が特別な方であることを 認識しましたが、彼の変貌の前、だれも彼の内側に隠されている栄光を見ません でした。 そしてある日、主は彼の最も親密な三人の弟子を高い山に連れて行き、そこにお いて彼らの目の前で変貌されました。主イエスが変貌されたことは、彼の人性が 彼の神性で浸透され飽和されたことを意味しました。わたしたちは、彼の人性が 神性で浸されたと言ってもよいでしょう。この変貌は、彼が栄光を受けたことで すが、彼が王国の中で来られることと等しいものでした。来るべき王国の出現で は、キリストはこのようであるでしょう。彼は神性と人性の両方を持つキリスト です。しかし、彼の人性は彼の神性で浸されているでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(三)」(1997 年版)メッセージ第49編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。