主はすべての人のパンである ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ15:21 それからイエスはそこを去って、ツロとシドンの地方へ退かれた。 (22節)すると見よ、一人のカナン人の女がその地域から出て来て、叫んで言った、 「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください!」。……(24節)しかし、 イエスは答えて言われた、「わたしはイスラエルの家の失われた羊以外には、遣 わされていない」。(26節)イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取り上 げて、子犬に投げてやるのはよくない」。(27節)すると彼女は言った、「主よ、 そうです。しかし、子犬でさえ、主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」。 (28節)そこで、イエスは彼女に答えて言われた、「婦人よ、あなたの信仰は大し たものである!」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全3編のうちの第1編) 主は、子供たちのパンを子犬に投げてやるのはよくないと言われました。これは、 主の目にすべての異教徒は犬であり、神の目に汚れていることを示しています (レビ11:26)。弟子たちが主の所に来た時、主はイスラエルの家の失われた羊の ためだけに来たと言われました。その女が主の所に来た時、主は彼女に、ご自身 が子供たちのためのパンとして来たこと、子供たちのパンを子犬に投げてやるの はよくないことを示されました。 主イエスがカナン人の女を犬と言われた時、彼女は「主よ、そうです。しかし、 子犬でさえ、主人の食卓から落ちるパンくずはいただきます」と言いました。カ ナン人の女は、主の言葉につまずくことなく、自分が異教の犬にすぎないことを 認め、その当時キリストは子供たちであるユダヤ人に退けられた後、異邦人の分 け前として食卓の下のパンくずになられたと考えました。イスラエルの聖地は食 卓であって、その上に天のパンであるキリストが、イスラエルの子供たちの分け 前として来られました。しかし、彼らはキリストを、食卓から異邦人の地に投げ 落としました。ですから彼は砕かれたパンくずになられ、異邦人の分け前となら れたのです。その時、この異邦人の女は何という理解を持ったことでしょう!  天の王が彼女の信仰を賞賛されたのも、不思議ではありません(28節)。 (明日につづく) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第46編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。