わたしたちの持っているすべてを天の王にささげる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ14:17 彼らはイエスに言った、「わたしたちは五つのパンと二匹の魚の ほか、ここに何も持っていません」。(18節)彼は言われた、「それをわたしの所 に持って来なさい」。(19節)そして群衆に命じて草の上に座らせ、五つのパンと 二匹の魚を取り、天を見上げて、祝福し、パンをさいて、弟子たちに与えられた。 そして弟子たちは群衆に与えた。(20節)彼らはみな食べて満腹した。そして、か けらの残ったものを集めると、十二の手かごいっぱいになった。(21節)食べた者 は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第1編) わたしたちが主から受けているものは何であれ、主に持って行く必要があります。 それは、他の多くの人に対して大いなる祝福となるためです。主はしばしば、わ たしたちが彼にささげたものを用いて、多くの人の必要に備えられます。あなた は主にささげるものは何もないと言うかもしれませんが、少なくともあなた自身 があります。主を賛美します。わたしたちはみな、自分自身を主にささげること ができます! わたしたちにはあわれな醜い自己のほか何もないかもしれません が、その自己を彼にささげることができるのです。病人でさえ、自分自身を主に ささげることができます。わたしたちのあるがままを主にささげましょう。 もしわたしたちの持っているものを自分の所有として保ち続けるなら、それは無 でしょう。しかし、それがわたしたちの手から主の御手に渡されるなら、大きな 祝福になるでしょう。あなた自身を主にささげなさい。あなたが持っているもの を彼にささげなさい。そうすれば、主は多くの人々を祝福する道を持たれ、あな たもその祝福の中に含まれるでしょう。 教理は、わたしたちは律法の下にではなく、恵みの下にいなければならないとい うことです。恵みは、わたしたちの貧しさと無一物を暴露します。しかし、わた したちは主にささげるもの、すなわち、わたしたち自身を持っています。わたし たちの持っているものがどれほど少なくても、それを彼にささげる必要がありま す。もしわたしたちが自分の持っているものを主の御手の中に置くなら、それは 大きな祝福になります。 (明日に続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウィットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第43編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。