天然の知識にしたがってキリストを知ることをしない(2) ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― 2コリント5:16 ですからわたしたちは、今から後、だれをも肉にしたがって知 ろうとはしません。たとえキリストを肉にしたがって知っていたとしても、今は もはや彼を、そのように知ろうとはしません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全2編のうちの第2編) パウロはタルソのサウロであった時、キリストを肉にしたがって知っており、イ エスは小さなナザレ人にすぎないと思っていました。彼はイエスの中に神がおら れることを認識していませんでした。しかしある日、ダマスコへの途上で主イエ スは彼に、「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか?」と言われました。 サウロが主にどなたであるかを尋ねた時、主は「わたしはイエスである」と答え られました(使徒9:1-5)。ダマスコへの途上で、サウロはナザレのイエスが今や 天におられることを認識しました。イエスはこう言っておられるかのようでした、 「わたしは肉だけではありませんでした。わたしは神でした。なぜなら、神がわ たしの中におられたからです。サウロよ、あなたは内側の霊にしたがってではな く、肉にしたがってわたしを知っていたのです」。 それは今日も同じです。わたしたちは他のクリスチャンを外側のものによらずに、 彼らの国籍、言語、血統、教育、容貌、資格によらずに知る必要があります。も しこれらのものによってクリスチャンを知るなら、わたしたちは肉にしたがって 知っているのです。わたしたちはクリスチャンを霊にしたがって知るべきです。 なぜなら、キリストは彼らの中におられるからです。 ある兄弟はうまく語ることができず、下手な文法を使うかもしれません。しかし、 彼が口を開く時はいつもキリストが出て来ます。あなたが彼の前に座っている時 でさえ、ある量のキリストが彼と共にあることに、あなたは気づきます。教会生 活では、わたしたちは外観に注意しないで、キリストのおられる内側の霊にだけ 注意します。これがキリストを知る道、他のクリスチャンを知る道、主に従う道 です。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第42編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。