宗教の規定から自由にされることによって安息を持つ ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ12:1 そのころ、イエスは安息日に麦畑を通られた。弟子たちは空腹に なったので、麦の穂を摘んで食べ始めた。(2節)パリサイ人はこれを見て彼に言っ た、「ご覧なさい、あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしてい ます」。 ガラテヤ5:1 キリストがわたしたちを自由にしてくださったのは、自由を得さ せるためです。だからしっかりと立ちなさい。二度と奴隷のくびきに、つながれ てはなりません。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 上の御言葉の中にある「そのころ」は、第12章を第11章とつなぎます。主は、律 法や宗教の規定を守る努力から安息するようにと人々を召したとき、彼は安息日 に麦畑を通られました。弟子たちは、麦の穂を摘んで食べ始めました。それは一 見すると、安息日を破ることでした。その時、弟子たちはみな空腹でした。空腹 の時はいつも、わたしたちには安息がありません。安息は満足を含みます。満足 すれば安息しています。しかし、あなたに満足がないなら、安息はありません。 主は、弟子たちが空腹であったこと、また安息日であったので食べる物を見つけ ることが難しかったことを知っておられました。彼らは何を買うことも、何をす ることも、どこへ行くこともできなかったのです。弟子たちは次のように言うこ とができたでしょう、「主イエスよ、どうしましょうか? あなたはわたしたち をあなたの安息に招いてくださいました。しかし、わたしたちは空腹であって、 食べ物を得ることはできそうにありません。こんな空腹の時に、どうして安息す ることができるでしょうか?」。弟子たちは安息日の規定を守る重荷の下にあり ました。これらの規定は、空腹の弟子たちには重荷になっていました。ですから、 主イエスは、彼の弟子たちを、規定を守る状態から麦畑へ連れ出すことによって、 率先してこれらの規定を破られたのです。これを行なった主の意図は、安息日を 守る規定から弟子たちを解放することでした。麦畑に入ってきた時、すべての人 はこの重荷から解放されて満足しました。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウィットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第32編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。