わたしたちの魂のために安息を見いだす ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ11:28 すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい。そうす れば、わたしはあなたがたに安息を与える。(29節)わたしは心の柔和なへりくだ った者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい。そうすれば、 あなたがたは魂に安息を見いだすであろう。 ヘブル4:9 こういうわけで、ある安息日の安息が、神の民のために、まだ残され ているのです。(10節)なぜなら、彼の安息に入った者は、神がご自身のわざを休 まれたように、自分のわざを休んだからです。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 29節で、主はご自身から学ぶようにと告げられます。彼は心の柔和なへりくだっ た方です。柔和あるいは温和であるとは、どんな反対にも抵抗しないことを意味 し、へりくだっているとは、自分を高く考えないことを意味します。主はどんな 反対にあっても柔和であり、どんな拒絶にあっても心のへりくだった方でした。 彼は完全に御父のみこころに服従し、ご自分のためには何もしようとせず、ご自 分のためには何かを獲得しようと期待されませんでした。ですから、状況がどう であっても、彼は心の中に安息を持っておられました。彼は御父のみこころで完 全に満足しておられました。 主は、もしわたしたちが主のくびきを負い、主から学ぶなら、魂に安息を見いだ すと言われました。主のくびきを負い、主から学ぶことによってわたしたちが見 いだす安息は、わたしたちの魂のためです。それは内側の安息であり、その性質 は外面的なものではありません。 もしわたしたちが務めをする時に反対されて、それに抵抗するなら、わたしたち は平安を持たないでしょう。しかし、抵抗するのではなく、御父のみこころに服 し、反対が御父からのものであると証しするなら、わたしたちは魂に安息を持つ でしょう。天の王であるキリストは、常に御父のみこころに服し、神のみこころ をご自分の分として取り、何にも抵抗しませんでした。ですから、彼は常に安息 の中にありました。わたしたちは彼から学び、この見方を受け入れなければなり ません。そうすれば、魂に安息を得るでしょう。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第31編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。