御父のみこころをわたしたちのくびきとして取る ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ11:28 すべて労苦し重荷を負っている者は、わたしに来なさい。そうす れば、わたしはあなたがたに安息を与える。(29節)わたしは心の柔和なへりくだ った者であるから、わたしのくびきを負い、わたしから学びなさい。そうすれば、 あなたがたは魂に安息を見いだすであろう。(30節)わたしのくびきは負いやすく、 わたしの荷は軽いからである」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― 何という恵みある言葉でしょう! 28節に述べられた労苦は、律法の戒めや宗教 的規定を守ろうと努力する労苦のことだけではなく、何かに成功しようとして奮 闘する労苦のことをも言っています。このように労苦する人はだれでも、常に重 荷を負っています。主は御父の道を承認し、神聖なエコノミーを宣言して御父を ほめたたえた後、このような人々を召して、安息のために彼の所へと来させまし た。安息とは、律法と宗教から、また働きや責任の労苦と重荷とから解放される ことだけでなく、完全な平安と全き満足のことをも指します。 主のくびきを負うとは、御父のみこころを受け入れることです。それは、律法や 宗教の義務によって規制されたり制御されたりすることでもなく、何かの働きの ために奴隷にされることでもありません。それは、御父のみこころによって拘束 されることです。主はそのような生活を生き、御父のみこころ以外の何も顧慮さ れませんでした。彼はご自身を、完全に御父のみこころに服従させました。です から、主はご自身から学ぶようにとわたしたちに求められます。神のみこころが わたしたちのくびきです。ですから、わたしたちには自分の好きなことを行なう 自由はありません。むしろ、わたしたちはくびきを負わされています。主のくび きは負いやすく、主の荷は軽いのです。主のくびきは御父のみこころであり、彼 の荷は御父のみこころを遂行する働きです。そのようなくびきは負いやすく、苦 しくはありません。またそのような荷は軽く、重くはありません。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第31編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。