神の救いを受け入れ、それに応答する ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ11:16 ところで、わたしはこの世代を何にたとえようか? それは、小 さい子供たちが市場に座って、他の子供たちに呼びかけるのに似ている。(17節) 彼らは言う、『わたしたちはあなたがたに笛を吹いたのに、あなたがたは踊らな かった。弔いの歌を歌ったのに、嘆き悲しむことはなかった』。(18節)ヨハネが 来て、食べることも飲むこともしないと、『彼は悪鬼にとりつかれている』と彼 らは言う。(19節)人の子が来て、食べたり飲んだりすると、『見よ、食いしんぼ うで大酒飲み、取税人や罪人の友』と言う。しかし、知恵はその働きによって義 とされる」。 1コリント1:24 召されている者には、ユダヤ人にもギリシャ人にも、キリスト は神の力、また神の知恵です。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― キリストとバプテスマのヨハネは、「笛を吹いて」王国の福音を宣べ伝えました。 しかしユダヤ教徒たちは、救いの喜びに対して「踊り」ませんでした。ヨハネと キリストは、「弔いの歌を歌って」悔い改めを宣べ伝えました。しかし彼らは、 罪の憂いに「嘆き悲しむこと」をしませんでした。神の義は、彼らが悔い改める ことを要求しましたが、彼らは従いませんでした。神の恵みは、彼らに救いを与 えましたが、彼らはそれを受け入れませんでした。 ヨハネが来たのは、人々を悔い改めにもたらし、彼らを罪に対して悲しませるた めでした。ですから、彼は食べ飲みを楽しみませんでした。キリストが来られた のは、罪人に救いをもたらし、彼らに救いを楽しませるためでした。ですから、 彼は罪人と飲食の楽しみを共にされました。バプテスマのヨハネは、普通の方法 で食べたり飲んだりしないで、奇異で特殊な生き方をしたために、反対者は「彼 は悪鬼にとりつかれている」と言いました。しかし、彼らはキリストを食いしん ぼう、大酒飲み、取税人や罪人の友と呼びました。キリストは救い主であるだけ でなく、罪人の友でもあり、彼らの持つ問題に同情し、彼らの悲しみを思いやり ます。 19節で主は、「知恵はその働きによって義とされる」と言われました。知恵はキ リストです。キリストが行なった事はすべて、神の知恵によって行なわれました。 その知恵とはキリストご自身です。この知恵は、彼の賢い働き、彼の賢い行為に よって義とされ、擁護されました。この節において、古代の権威ある幾つかの写 本では、「働き」ではなく、「子供たち」となっています。王国の民は知恵の子 供たちであり、彼らはキリストと彼の行為を義とし、彼らの知恵であるキリスト に従います。キリストは王国の民によって義とされます。彼らは、いつ食べるべ きか、いつ食べるべきでないかを知っており、笛の演奏や弔いの歌を聞き分け、 いつ喜ぶべきか、いつ悔い改めるべきかを知っています。わたしたち王国の民、 知恵の子たちは、いつ悔い改めるべきか、いつ喜ぶべきかを見分ける知恵を持っ ています。しかし拒絶する世代は絶対に愚かです。あなたが彼らのために歌を歌 っても、彼らは応答しません。悔い改めの弔いの歌を歌っても、やはり応答しま せん。彼らはかたくなで、愚かであって、知恵に欠けています。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第31編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。