主は自分を義とする者ではなく、罪深い者を招かれる ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ9:12 イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。 いるのは病んでいる人である。(13節)『わたしが望むのはあわれみであって、い けにえではない』とはどういう意味なのか、行って学んできなさい。わたしが来 たのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全4編のうちの第4編) 主はここで、彼が来たのは義人を招くためではなく、罪人を招くためであると言 われます。実は、義人はいません。一人もいません(ローマ3:10)。すべての「義 人」は、パリサイ人と同じように自分を義とする者たちです。王なる救い主が来 られたのは、彼らを招くためではなく、罪人を招くためです。 主はパリサイ人にこう言っておられたかのようです、「あなたがたパリサイ人は 自分を義としており、これらの人々をあわれむことなく罪定めしています。しか し、神はあわれみを望まれます。今やわたしは彼らの医者になることによって、 これらのあわれな人々に神のあわれみを執行します。わたしはここに裁判官とし ているのではありません。わたしは彼らの問題を顧みる愛の医者としてここにい るのです。そして今わたしは彼らをいやします」。 あなたは義でしょうか? もしあなたが「いいえ、わたしは義ではありません」 と言うなら、あなたは幸いです。自分を義と考えないで、罪深いと認める人たち は幸いです。それは、主は義人を招くためではなく、罪人を招くために来られた からです。主は自分を義とする者たちに次のように言いました、「もしあなたが 自分を義と考えるなら、あなたはわたしが来たことにふさわしくありません。な ぜなら、わたしが来たのは罪人のためだからです。自分を義と考えてはなりませ ん。そうではなく、あなたは自分がいかに罪深いかを認識しなければなりません。 もしあなたが自分自身を罪人と考えるなら、あなたはわたしが来ることに対して 用意ができています」。 ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第27編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。