主はご自身を医者として啓示される ――――――――――――――聖書の節(回復訳)―――――――――――― マタイ9:11 すると、パリサイ人がそれを見て、彼の弟子たちに言った、「なぜ あなたがたの先生は、取税人や罪人と一緒に食事をするのですか?」。(12節)イ エスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病んで いる人である。(13節)『わたしが望むのはあわれみであって、いけにえではない』 とはどういう意味なのか、行って学んできなさい。わたしが来たのは、義人を招 くためではなく、罪人を招くためである」。 ―――――――――――――――務めの言葉――――――――――――――― (全4編のうちの第2編) ユダヤ人の最も厳格な派のパリサイ人は、自分たちの優れた生活の聖さ、神への 献身、聖書の知識を誇っていました。主イエスがすべての取税人や罪人と食卓を 楽しんでおられた時、パリサイ人は彼を非難し、罪定めして、弟子たちに、なぜ 彼らの先生はそのような者たちと一緒に食事をするのかと尋ねました。この質問 は、自分を義とするパリサイ人が神の恵みを知らなかったことを示します。彼ら は、神が人を取り扱われるのは義にしたがってだけであると思っていました。こ う尋ねることによって、彼らが天の王の反対者であり、彼を拒絶していることが 暴露されました。 主はパリサイ人の質問によって与えられた機会を捕らえて、彼が医者であるとい うとても甘い啓示を与えられました。主はパリサイ人に、これらの取税人や罪人 は患者、病んでいる人であるから、彼らにとって主は裁判官ではなく、医者、い やす者であると告げておられます。王国のために従うよう人々を召すことで、天 の王国の王は、裁判官としてではなく、医者として務めをされました。裁判官の 裁きは義にしたがって行なわれますが、医者のいやしはあわれみと恵みにしたが って行なわれます。 (明日へ続く) ――――――――――――――――――――――――――――――――――― 新約聖書の節は、回復訳新約聖書(1996年版)から引用されており、務めの言葉は、 ウイットネス・リー著「新約ライフスタディ・マタイによる福音書(二)」(1997 年版)メッセージ第27編から引用されています。いずれも日本福音書房から出版 されています。